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「高橋新太郎文庫」の取り組み 「高橋新太郎文庫」事務局 中川 順一
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 収集家にとって意味あるものが、第三者にとっては無意味な、ときに存在それ自体がコストと なる場合がある。しかし、収集家にとっての不幸は、収集家である彼が考える「意味」に無知な 人間たちが、「存在それ自体がコスト」と認定することではない。収集家は、収集の時点ですで に、それが「第三者にとっては無意味な、ときに存在それ自体がコスト」と認定されるであろう ことに、ある程度の覚悟と決意は、ある。収集家にとっての真の不幸は、たとえ彼の収集の意味 には無知であっても、彼を愛するが故に彼が慈しんだものを、「存在それ自体が「コスト」と言 い切れぬまま持て余す姿を知ることだろう。
 我らが愛する故・高橋新太郎は、心優しい人だから、彼の収集の「意味」に無知な我々が、段 ボール箱で約2,500箱、推定約7万冊の書籍という彼の収集物の前で悄然とする姿を見れば、「も ういいよ。捨ててしまいなさい」と言うだろう。けれども我々の不幸は、高橋新太郎は故人とな ってしまい、もう彼から直接に、「捨ててしまいなさい」と言ってもらえないところにある。あ るいはそれが、心優しいふりをして生きた高橋新太郎の「作戦」だったかもしれない。
 「高橋新太郎文庫」を担う我々の作業は、愛する高橋新太郎から、もう絶対に「捨ててしまい なさい」と言ってもらうことはない膨大な「蔵書」を引き受け、悄然とし、けれども意地になっ て、「持て余してはいません!」と言い切るための取り組みなのである。
 そして、「なのである」と紋切り型に宣言せざるを得ないほどに、実は、持て余しているので ある。
 「高橋新太郎文庫」はホームページ上の文庫である。「日本近代文学とその時代の研究に資す ることを目的に、国文学者・高橋新太郎(学習院女子大学名誉教授・〇三年一月十一日没)の業 績と蔵書、収集資料目録をweb上に記録する」ために運営している。
 発端は、新太郎先生(私は、そう呼んでいた)の死去により学習院女子大個人研究室(書棚ば かりでなく机、椅子、床にもうず高く本が積まれ、もはや研究室としての用をなさなくなってい た)の明け渡しが必要になり、あわせて自宅地下に作られた書庫と、自宅(書斎だけでなく居間 や台所にまで)に集められた膨大な蔵書類の「始末」をどうすべきかに関係者が頭を悩ませたと ころにあった。「彷書月刊」の読者であればご存知の通り、高橋新太郎は全国の古書店をまわり、 さまざまなジャンルの書籍や文献を収集した。そして、それ以上に膨大な新刊書籍・雑誌を書店 から買い求めていた。
 新太郎先生の周囲の者で、文学や研究や古書収集に縁のない者たちは、「ただ処分するのは惜 しい」という思いから、新太郎先生の長女・芳さんと、その夫君である園木章夫氏に蔵書の整理 を申し入れた。
 当初、半年間で整理し、書名程度の目録を作成し、それをインターネット上に掲載しようとい う考えでスタートした。「何を集めていたか」だけでも記録されれば、後は寄贈や古書店を介し ての市場への還元、あるいは廃棄といったさまざまな選択肢のどれを選ぶこともできるだろうと 判断した。しかしこの判断は、いかにも素人のそれであることがやがて判明する。蔵書の収容と 整理作業は、日本橋人形町の園木氏の経営する会社のビルの一室(一フロア占拠!)を利用して いるが、作業後一年八ヶ月を経過した今でも、蔵書リスト作成は遅々として進まず、関係者は 「途方にくれている」状態である。整理状況および雑誌創刊号や全集など一部のリストはホーム ページをご覧いただきたい。また遅々として進まぬリスト化を補うために、「彷書月刊」に連載 された本人の集書をもとにした連載「集書日誌」も収録した。整理後の処置については、正直 「手付かずのまま」である。処置に関する、現実的で好意ある提案を求めてやまない。
 作業を行う我々は、新太郎先生を「収集家」と呼んでいるが、学習院女子大学で近代日本文学 を教えていた高橋新太郎を知る人からは、「先生は収集家ではなく研究者である」と叱られる。 「研究のために必要となるであろう本や雑誌をとりあえず収集していたのである」と説明を受け る。しかし、それを理解したとしても、段ボール約2,500箱に詰め替えた膨大な書籍や文献(こ の中には古新聞や切抜き、ポスターやチラシ類も含まれる)は、「近代文学」など既成のジャン ルで区分・整理することは困難で、本人亡きいまは「集めていた」としか表現のしようがないも のである。
 医師から余命わずかとの宣告を受けた新太郎先生は、残された命として「あと三百日欲しい」 と言った。その日数で最後の卒業生を送り出し定年退任を迎え、三作の本を仕上げたいと周囲に 語った。ひとつは随想集「杜と櫻並木の蔭で」であり、これは本人の原稿と学習院を中心とした 関係者方々に追悼文を執筆していただき、今年七月、学習院女子大学教授・永井和子氏と長女・ 園木芳氏の編集により笠間書院から出版された。(「杜と櫻並木の蔭で」は非売品として出版さ れているが、ご希望の方には頒布しているので、笠間書院または高橋文庫までご連絡を)
 そして生前果たせなかったあとの二作は、ひとつは研究論文集「近代日本文学の周圏」であり、 もうひとつが、おそらく収集した書籍や文献をもとに構成されたであろう「昭和貼交帖〜思想と 文化の相克」である。後者は、新太郎先生の膨大な蔵書・文献・図版類の中から、高橋新太郎自 身が必要なものを抽出し、それを意味付けし、世の中に提示するもののはずだった。本人からそ の構想を聞かされた方の話によれば、膨大な蔵書・文献・図版類をもとに、「それを鳥瞰図的に 昭和の意味を根源的に問い直すはずだった」という。
 けれども新太郎先生は、「第一頁に(『ロシア革命十周年記念祭』のポスター)」というメモ のほかは、一行の原稿も、整理軸も残さぬままに逝った。
 「高橋新太郎文庫」の取り組みは、「何を集めていたのか」を記録するだけの作業である。け れども、新太郎先生が遺したかった「昭和貼交帖」を誰かが引き受けてくれるときの「引継ぎ書」 のひとつにはなるはずだと考え、遺族の理解に甘え、さらに遺族に大きな負担を強いながら継続 している。
◎高橋新太郎文庫 https://noracomi.co.jp/takahashi/index.html

2004/09/01 「彷書月刊」2004年10月号 掲載

コラム 学習院の新太郎先生のこと


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